地獄の日々

父親と再婚相手の家に引っ越し転校もした中学2年生に上がったばかりの春


再婚相手(今後はAにする)はかなり気さくに話しかけてくれた。一軒家の1回の窓側の部屋が私の部屋。引越しの準備も手伝ってくれて必要な家具もあれこれ揃えてくれた。


当時Aは若かったから友達みたいな感覚で話してくれて笑顔が素敵で社交的な明るいとても素敵な人だなというのが感想。


すぐに打ち解けて仲良くなり、父親も毎日帰ってくる(娘は放置だったくせに女のためには毎日帰ってくるとかゴミ)転校先の学校でも順調に日々は過ぎていき、暮らし始めて3ヶ月の頃、妊娠中だったAは出産準備の為1ヶ月入院した。


その間家事もこなし、お見舞いもいった。


間もなくして8月

弟が産まれた


とっっっっても嬉しかった

腹違いではあるけど半分でも血が繋がった弟には変わりなくて嬉しくてとても可愛がった


けど女の人って出産したら人格変わるって本当なのかな


退院して家に戻ってきてから



人が変わったみたいになってしまった



彼女も初めての出産で赤ちゃんの世話でいっぱいいっぱいなのはそばで見ていて知ってたから、朝起きて学校行く前に自分でご飯作ってテレビを消音で付けて見ながら食べていたらうるさいとリモコンを投げつけられた。

その後、何故家族全員分作らないのかと怒られた。

テレビは今まで付けてたしご飯は学校があるから流石に全員作ってる時間はないと思ったけど、自分の配慮が足りてなかったのかなと思い、謝って次の日から毎日30分早く起きて電気もつけず起こさないように家族全員分のご飯を作って、音を立てないように食べて準備して学校へ行った。


そしたらまたしばらくして、次は何故ご飯を作って食べた後お皿を洗って行かないのかと怒られた


また謝った


次の日から更に1時間早く起きてお皿洗いまで終わらせて学校へ行くようになった


またとある日、学校から帰ってきて友達と遊ぶ約束をしていたから家を出ようとした時


宿題してから行けと言われ、まぁ確かにと思い宿題して行こうとしたら次は、何故私がこんな大変な思いをしてる時に遊びに行くのか、思いやりがない、人でなしと言われた。


友達に謝って遊びに行くのを辞めた。


そこからはもう毎日


朝ご飯を作り、お皿を洗い、学校へ行き、宿題して、弟をお風呂に入れて、夜ご飯食べて(幸いにも夜ご飯は作ってくれてたので)、お皿を洗い、洗濯物をして、トイレ掃除して、自分もお風呂にはいり、宿題以外も勉強しろと言われてた為毎日2時間勉強して、寝る。


朝6時に起きて夜2時に寝る

そんな毎日を中学時代は繰り返した


因みに友達とは土日に遊んで彼氏とは土日や夜中こっそり家まで来てくれて(私の部屋はテラス付きだったので)柵越しに会話してた(笑)


今思えばそれも青春…?

狂い始める日々

この記事が私の人生を全て狂わせた本命

忘れもしない中学1年生の春休み。
2年生に上がる直前のこと。

この頃には既に半年に1回しか帰ってこなくなっていた父親が1人の女性を連れて帰ってきた。

当時23歳の相手の女性

珍しく帰ってきたと思って喜んだのもつかの間
父親は話があるといい女性を連れてテーブルの反対側に横並びに座り、私とおばあちゃんはその対面に座らされた。

おばあちゃんのあの時の一瞬の全てを悟ったかのような表情今でも忘れない。きっと親だからあの時にはもうわかっていたんだろうな。

開口一番父親が言った言葉



『彼女と結婚する。彼女のお腹にはもう子供もいる。○○(私の名前)を引き取ってこれからは3人で暮らしていく。責任は持つ。』


信じられないよね


たった1人の娘さえ育てられず捨てようとした男が、まーた女と子供作って。
都合よく引き取って今度は責任持って育てるだって。


よく言えたよね


おばあちゃんがゆっくり私の顔を見て優しく
『どうする?』
って聞いてきた。

もちろん私は抵抗した。学校で辛いことは沢山あるけど、それでもそばに居てくれる友達はいたし、当時部活をしていて実績を残して大会でも優勝して、次期部長になることも決定していたのに。

こんな身勝手な人達の都合で転校なんて。

拒否する私に放った父親の言葉は


『子供は親の言う通りにするしかない。お前がいくら嫌だと言っても、お前は俺の子供だから来るしかない』


今思えば。

ここで意地でも抵抗していたら何かが変わったかもしれない。

私はこんな人間にならなかったかもしれない。

でも


当時13歳の私には大人に打ち勝てるだけの言葉を持っていなかった。

2014年春

私は私を捨てようとした父親と、身元も分からない身ごもった謎の女性と3人で暮らし始める。

友達(笑)

前回の記事で最後の方少し友達のことを書いたと思うんだけどこれはその続きになるかな


前回の小学生の時の話はもうそれくらいであとはほんとに普通に芸能活動と義務教育をこなしてた感じ。


ここから中学生になるわけだけど、生意気にも小学校卒業して中学校入学する前の春休みの期間(つまり12歳)の時に初めて彼氏が出来たんだけどそれが2歳上の友達のお兄ちゃんで(笑)


中学校入学してすぐ、私が中1、彼氏は中3だから入学前に既に噂になってて先輩からめちゃくちゃ目をつけられてた。(特に女の先輩)

あとこれは本当に自慢でもなんでも無いんだけど小学生の頃からちょっとモテてたのが中学生になって更にモテたので(ほんとうにすみませんありがとうございますはい)女の先輩受けが死ぬほど悪くて、やれビッチだの、ヤクザの娘だの、胸にタトゥーあるだの酒とタバコしてるだのありもしない噂を死ぬほど立てられた。


それを当時の彼氏も知ってたはずなのに何も言ってくれなくて、あ、だめだ。と思って入学して3ヶ月で別れた。


別れた瞬間、ヤリたいだけの男達から告白祭りが始まって。もう本当に誰も信じれなくなった。

上記の女の先輩にたてられた噂さ、同級生の仲良かった子達まで噂を鵜呑みにして距離置かれて、しんどかったなぁ…。


男はヤリたい、もしくは彼女がいるっていうレッテルが欲しいだけ、ほんとにアクセサリーみたい。くだらない。

女は噂大好き。悪口大会毎日開催中。真実がどうかも知らないくせにしょーもない。


元々社交的な性格で友達も多い方だったし家族から貰えなかった愛情を他人から沢山貰えることで幸せを感じてたから遊びにも沢山行ってたくさん色んな人と関わってたけどこの辺から真逆になった。


人が少し嫌いになってしまった。

家族

前回が生まれと主に母親のこと書いたんだけどこれはその後の他の家族の話かな



まぁそんなこんなで母親に捨てられて父親も1人で育てられないからって孤児院に預けられそうになったところを父方のおばあちゃんが拾ってくれた。



私を捨てようとした父親をめちゃくちゃ怒ったみたい(笑)



有難いけど捨てようとしてた時点でそれが全てだから無理矢理拾われても父親に愛は無いんだけどね笑



でもおばあちゃんが拾ってくれたお陰でなんとかおばあちゃんと叔父の家で暮らすことになった。



3歳頃からおばあちゃん、叔父、父親、私の4人で暮らし始めたんだけど当時おばあちゃんはまだバリバリのキャリアウーマンで働いてたから朝から夜まで居なくて、父親は夜職だから夜から朝まで居なくて、(あげくパチンコ行ったり店で寝泊まりしてて帰ってくるのは1ヶ月に1回)叔父は彼女がいたみたいで彼女の家に行ったりしてて、幼稚園も行ってなかったからその間ずーっと1人でお家で遊んでた


テレビ見たり、なんか作ったり、寝たり(笑)



今思えばあの時ずっと1人で寂しくて、寝てればいつの間にか時間が過ぎて起きた頃には家族に会えるから今でもずっと寝る癖がついちゃってるのかも(笑)


良いようにロングスリーパーとか言っちゃって‪w‪w‪w‪w‪w‪w



まぁそれはどうでもいいんだけど、世間で言う年長さんのタイミングで幼稚園に入園した。


ずっとひとりぼっちで可哀想だからっておばあちゃんが笑

ありがとうね。



これはねもう性格の問題なんだと思うけど、他の子より2年遅く入園したのに全く人見知りしなくて、年長さんから入ったくせに1ヶ月でクラス支配して先生に生意気言ってたらしい‪w‪w‪w


かわいくな‪w‪w‪w‪w‪w‪w



その時に親友って呼べる子が2人できて、これも後に人生狂わせられるんだけどね(笑)



そっからはまぁ小学校に入学するわけだけどまぁ大したことはなかったかな


入学式も運動会も授業参観も卒業式も。ありとあらゆる行事全部1度も、ただの1度も。

家族に来てもらったことは無い。

子供ながらにまぁわかってたけどね笑

先生にも友達にも友達の親にも気を遣われて、その辺からかなぁ、周りの目が気になりだしたというか、人の顔色をうかがうようになったのは。



そうだなぁ、正直学校行事って来てもらわなくてもあまり困らないというか慣れてたからなんとも思わなかったけど、強いて言うなら運動会の時みんなが家族とご飯食べてる中保健室で先生とご飯食べた6年間と、4年生の時かな?二分の一成人式っていう謎行事あるじゃん?(笑)

あれでありもしない親との思い出を無理矢理先生に書かされて、ありもしない愛情と感謝を、来てもいない親に向けてクラス全員とその保護者の前で読まされたことは辛かったかなぁ笑


誰も私に興味なんてないくせに

誰も私のことなんてわかってないくせに

クラスメイトの保護者達は憐れむような目でこっち見て涙なんか流しちゃってさ


読んでる当の本人が泣いてないのになんであなたたちが泣くの?って率直に思ったかな。


因みにこの頃もう既にダンスと歌が好きで、ファッションとかも好きだから芸能活動してたんだけど、なんかそういうのも聞きつけた学校の子達が私と仲良くすることで他の人に自慢しようと近付いてきてそういうのも気持ち悪かったなぁ。



8月

⚠️決して楽しい話では無いので苦手な方は読まないで下さい。


これは私の人生です。


21年前の8月

まだ当時18歳でキャバクラ勤務だった母親とその母親が働くキャバクラの当時店長(今は専務)だった父親との間に私が産まれた。


産まれてすぐは嬉しかったみたいで2人で一生懸命育ててくれたみたいだけど、やっぱり当時18歳の母親には限界で、父方の祖母と父親の弟4人で住み協力して育ててたらしい。


でも、周りは遊んでて1番楽しい時期に、子供がいて、まして姑と一緒に住み、旦那は夜職だから夜は居ない状況も相まって鬱になってしまい、私が3歳の時に家を出ていってしまった。


そこから18年間私は母親の姿を見ていない。






これは後に父親から聞いた話だが






家出した母親は後にヤクザとの間に子供を作り、その子供も捨てて逃亡しそのヤクザから母親の居場所を知らないか父親に電話があったらしい。


更にその数年後ヤクザからの電話で分かったそうだが母親は北は北海道の網走(北海道の中でも更に上の方)で子供3人作り、また逃亡したらしい。



私知らない間に少なくとも全国に兄弟4人確定してるの面白くない??‪w‪w‪w‪w‪w‪w



父親にしてもそのヤクザにしても網走は知らないけど私の母親は立場とお金とその場の快楽が目的のクソビッチだと思ってる。



今はどこで何をしているんだろうなぁ(笑)


次はその後の残された家族の話かな。